令和の日に入院した母の旅立ちから今日まで

令和元年5月1日に母が独居から緊急入院。令和5年6月20日に安らかな顔立ちで旅立ちました。コロナ前の施設探し、生活保護申請、コロナ禍での入居生活で感じたこと、反省点をこれからも大切な人を支え続ける人の参考になればと思いブログを続けてます

高齢者との電話コミュニケーション

ブロ友さんがガラケーを交換したという記事を読んで思い返しました。

私も母には最期までガラケーお持たせていました。3Gが来年1月に廃止されると知り、どのように交換して使い方を覚えさせるかを相当悩みました。結果的に入院してしまったので廃止だけで終わりましたが、高齢認知症の身内との連絡は誰もが突き当たる課題です。

母は健常のころから電子機器が好きで自分で携帯やビデオ、CDプレイヤー、冷蔵庫、レンジ、電卓辞書などマニュアルを読み込んで使いこなしていました。認知症が進むにつれその機械の目的、操作が分からなくなり放置、勝手に廃棄したりもしましたが、なぜか携帯だけは最後まで何とか使えていました。たぶん、昔から毎日のように電話していた習慣が残っていたからでしょう。母の場合は認知症が進行するにつれ、

①携帯をかけてくる頻度が徐々に減る

②会話が短文になる

③こちらからかけてもうまく受信ボタンを押せずに切れる

④昼夜を問わずに携帯の頻度が急激に増えるが、かけた理由を忘れる、会話が一方的になる、同じことを何度も言う

⑤ピタッとかからなくなる

時系列ではこのような感じでした。経験から特に④は注意してほしいと思います。

ストレスや何らかの理由で話したい意欲があるのにそれをうまく伝えられない、話をして安心したい・・④は不安要素が最高潮にあるSOS発信の状態なのです。

私は自営業なのでいつでも電話を取れましたが、普通ではそういう訳にもいかず面倒に思いイライラすることもあるでしょう。しかし、ある日突然に電話が止み静かになります。

「あぁ楽になった」

これは本人が諦めたのではなく、認知症が最も重い段階に入ったのです。

この段階になると電話以外の生活環境にも症状が重くでているはずです。

介護者にも生活があるので大変だと思いますが、どうか面倒に思わずコミュニケーションを丁寧に取ってあげてください。限られたこの時間は二度と来ないです。