令和の日に入院した母の旅立ちから今日まで

令和元年5月1日に母が独居から緊急入院。令和5年6月20日に安らかな顔立ちで旅立ちました。コロナ前の施設探し、生活保護申請、コロナ禍での入居生活で感じたこと、反省点をこれからも大切な人を支え続ける人の参考になればと思いブログを続けてます

高齢者に大切なのは心のふれあい

 ブロ友さんの面会謝絶についての記事を読んで、母のことを改めて思いかえしました。コロナ禍での母の施設での対応は本当に不可思議なもので、面会は1階の食堂のみ。居室(一人部屋)での面会ができなかったのです。コロナ対策としてはどう考えても効果がない(不特定多数が行き交う食堂での面会は意味不明)。予想通り施設クラスターが発生し施設長がいつの間にか交代。クラスターの件も家族には一切の連絡なし(懇意にしていた看護師さんがポロっとしゃべって発覚)。

 しかしある日施設のケアマネから突然「長らくお会いしてないでしょうから来てはどうですか」との電話がありました。居室内のカメラで母の様子が最近おかしいとは思っていたので訪問すると案の定、部屋は荒れ放題(母が掃除を嫌がるとの理由で放置)、母の精神状態も限界に来ていました。ここまでの状態にならないと引き合わせない施設の対応には本当にあきれましたが、これが多くの施設での現状かもしれないです。

 死ぬよりかは良いでしょう?

 身内の介護をしたことがない、介護の実情を把握できていない人たちからすれば認知症が進むぐらいなら良いじゃないかと思っているのでしょう。最愛の身内が自分からどんどん遠ざかっていく姿を見るのがどれだけつらいか。本人にとっても、家族にとっても、いっそうのこと死別するほうがお互い受け入れられるのではと思ったこともあります。最後の数カ月も母は本当に一人で頑張りました。頑張りすぎるぐらい頑張りました。こんなに頑張らせたくなかったです。

 コロナ禍でも訪問を受け入れ、家族の触れ合いを第一にしている施設も一部にはあるそうです。本人にしてあげられる一番大事なことは寿命ではありません。触れ合いの時間であることをみんな気づいてほしい。