令和の日に入院した母の旅立ちから今日まで

令和元年5月1日に母が独居から緊急入院。令和5年6月20日に安らかな顔立ちで旅立ちました。コロナ前の施設探し、生活保護申請、コロナ禍での入居生活で感じたこと、反省点をこれからも大切な人を支え続ける人の参考になればと思いブログを続けてます

母の遺言

母には20年前に遺言書を書いてもらいました。

 ①財産は均等に分ける

 ②延命治療はしない

 ③神戸の墓に散骨

①は分ける財産がなく終了 ②③は希望通りに終えました。

それ以外にも二つ、口頭での遺言がありました。

「私がボケたら早く言ってね」

施設に入ってから、自分が間違ってないことを確認したくて言い訳の電話をかけてきたり、架空の人を創作して責任を転嫁したり・・カンの良い母なので、自分が自分でなくなってきていることを感じてたと思うので言えなかったです。というか、言えるわけがない。

「助からないと分かったら教えてね」

母が自分の両親を含め3人を看取ったのでそう思ったのでしょう。

最後の入院で母の旅立ちまでの時期を告知されてから、自分の中でものすごい葛藤がありました。母には励ましのつもりで一緒に神戸に帰る約束をしたものの、それは叶うようで叶わない約束。無理を承知で母に向かって嘘をついている自分。これから先も昇華できない記憶です。

二つとも約束を守れなくてごめんね。